逝去当初、多くのメディアは「部屋から遺書のようなものが見つかった」と速報しました。しかし、その後の警視庁の捜査および所属事務所アミューズの公式発表によって、誰かに宛てた明確な「遺書」は存在しなかったことが正式に公表されています。
現場に残されていたのは、三浦さんが日頃から役作りや自己内省のために書き留めていたノートでした。そこには、自らの死生観や、人間関係の悩み、そして「表現者としての重圧」が吐露されていました。琉球新報デジタルなどの報道でも取り上げられたように、ノートの端々には「知らない世界に行きたい」「自分の弱さをどう受け止めればいいのか」といった、存在の根源を揺るがすような苦悩の言葉が綴られていました。
幼少期から子役として第一線で走り続け、舞台『キンキーブーツ』や多数の映画・ドラマで主役を張り続けた彼は、作品ごとに徹底して自身を追い込むスタイルをとっていました。役柄と現実の自己との境界線が曖昧になるほどの没入が、心身を徐々にすり減らしていった背景が窺えます。